駄忍の凋落



 「なんですかあ、これ」
 木製の飯台に広げられた手拭いを見詰め、小松田秀作は顔をあげた。
 その手拭いの中央には、黒っぽい小さな固体がぱらぱらと置かれてあり、私はそれを一摘まみ、彼に見せ付けるように口を開いた。
 「阿片だ。」
 「阿片・・・」
 ぱっとそれを再び手拭いの上に置くと、小松田は大きな目をさらに見開いて、首を傾げた。
 「って、なんですか?」
 そのすっとんきょうな声にああそうかと納得をする。この弱々しい固体とは元より関係のない存在同士である。私はむしろ、この答えを期待していたのか、はたまた。
 私はその優しい棘に目を伏せ、そのまま息を吐くようにつぶやいた。
 「そうだな」
 え?と小さな声がきこえたが、彼の表情はわからない。知らなくて当たり前。知らないほうがずっと良い。その無数の小さな棘をひたすらに自身の掌に刺し続けることが、どれほど苦痛であるかなど、彼はそれすらも知らない。
 「私と君の世界は違うものだよ。」
 啓蒙という言葉があるが、これに至っては、知らぬが仏。である。しかし私の口から投げられたつぶやきへの返答は、予想を遥かに覆すものであった。
 「それで、阿片って、なんですか?」
 顔をあげると、彼はいつも通りの阿呆面を貼り付けて、目を合わせたとたんににこやかに笑った。私は恐らくぽかんと口を開けていたに違いない。同じく阿呆面を貼り付けて。
 「君は」
 呆れたように息を吐く。この子供ときたら、自ら負の方向へと足を踏み入れるのだから、よほどの馬鹿に違いない。
 「本当に馬鹿だな」
 「えっ、なんでですかあ」
 緊迫感を根こそぎかっさらってゆく口調。嫌いだ。嫌で仕方がない。
 これ以上は見せまいと、手拭いを畳んで、また、懐へ仕舞う。その最後までを見届けた彼は不思議そうにまだこちらを見ていた。
 「明のほうで取り締まりを図られている法に反する薬物だ。」
 こちらも観念をして、この無知な少年の働かない脳内に余計な情報を組み込んでやる。相変わらず首を傾げた調子の彼に眉をひそめると、その大きな目をぱちりと開けたまま、口をつき出して言った。
 「お薬なのに、明の上様はおもしろい方ですねえ」
 死角をつかれたようであった。おもしろいのは明の上様でもこいつの脳髄でもない。そうか、私はここまでこちら側に浸かっていようとは。
 「小松田くん」
 「はい」
 「やはり君は忍者になるべきでない。」
 真っ直ぐに見つめた瞳は、これまた真っ直ぐに私の目をみていた。珍しく「なんでですかあ」だの「ひどいですよぉ、利吉さん」だの言わないだなんて、恐らく近いうちに戦でも起こるだろうか。
 冗談でも物騒なことを言うものではないが、私ときたら、生憎、戦にはすっかり慣れきってしまっているため、くだらない皮肉にもあまり動揺はしない。鼻を鳴らす程度である。
 そんな鼻を鳴らす程度の皮肉を自分の中でひとしきり終わらせたあと、相変わらず見つめあっているという、なんとも不思議な光景を思い出す。
 これは私のカンだが、恐らく彼も、今の沈黙の間、同じようにまったく別の物事を考えていたのではないかと思う。夕飯あたりであろう。
 「お辛いですか」
 沈黙を裂いて彼が表情を変えずに私の目をみるので、思わず面食らってしまった。彼が笑わずに話すのは滅多なことである。
 「忍者が、か?」
 彼が真面目ならば私も真剣に取り扱ってやらねばと妙に駆り立てられたような気がした。返事にはすぐに「はい」と返る。
 「私の生き甲斐だ。」
 続きは言わなかったが、彼も理解したようであった。その小さな脳でも理解できるならよし。そうだ、私は辛くなどなかった。
 「それなら、いーんですけど」
 まるで操り人形の見えない糸がぷつりと弾けたように彼は笑った。今度は嫌だとは思わなかった。
 屈託のない笑顔は、確かに彼のものであったが、貼り付けてあるような違和感も感じた。職業柄、一番信頼できるものでさえ不審に思うようだ。さて私が彼を信頼しようとしていたのかは別の話だが。
 それからはくだらない世間話、雑談。勤務中に私が邪魔をしたというのに、彼は話をし足りないらしく、もはや私の仕事に影響が出る頃合いである。そろそろ、と切り出して立ち上がってみると、小松田秀作は再び笑った。
 「それでねぇ、利吉さん」
 明らかに空気を変える声色であった。いつもと同じものだと錯覚をさせる程度の。気付かないふりをして、なんだい、と投げ掛けてやると、彼はふわり、美しく口元を綻ばせた。
 「どうして、そのおくすりを、持ってきたのでしょう。」
 「ああそれは」
 早口で咄嗟の嘘を出す気でいたが、どうも回転が遅かったのか、その先の言葉がおもしろいほど浮かばなかった。
 つい口をつぐんだ私をみて、彼は少しだけ眉を動かした。哀れむような顔をして、同情でもするように私をみるのだった。
 「利吉さん」
 彼はいつになく真面目な顔をしていた。小松田秀作のくせに小癪だ。
 「利吉さん、あなたのような素晴らしい方が、僕のよくわからないおくすりを、厳重にしていらっしゃるのに。」
 確かに僕は馬鹿で、なんにも知らないですけどと苦笑いして彼は付け加えた。
 「別段、僕のようなへっぽこに、そのようなものを見せる利点が見当つかないのです。」
 彼の語り口は、すっとそのまま身体に入ってくるようであった。
 「山田先生や、土井先生、学園長先生だっていらっしゃいます。」
 「ああ」
 「それなのに、きっとそれは、」
 そうして、また、彼もそれ以上を言うことはなかった。


 阿片とは、奇形の植物(恐らくそれは人に選るだろうが、私はそう感じた。)から採取されるらしい。こちらではその存在はほぼ知られていない。私が持っていたのも、今日の任務で押収した一部だ。
 知らない人間がほとんどであろう。私自身、昨晩に初めて耳にしたのである。その効用、もとい薬害等は詳細には知らされてはいないが、とにかく、明を破滅寸前にまで追いやるものだ。よほどの影響力があることは想像に容易い。
 表に流れることのないようにとの命令に私は頷いたわけだが、小松田に見せてしまったこと、それ以前に、忍術学園に持ち込んだこと。もはや私の首が跳ぶのも小松田次第であろう。今や私の命は、私の意志であるとはいえ、彼が所有しているといっても過言ではないのである。
 「君はその美しい心を、わざわざ汚すことはないのだよ。」
 出門票を両手で抱え、今にも私に差し出そうとした彼に、私は声をかけた。
 「どういう意味ですか?」
 恐らく彼はわかっていてこう答えたのだろう。私以上に意地の悪い一面もあるらしい。
 「そういう意味だよ。」
 するりと小松田の腕から抜けた出門票が挟んである木板は、思いの外小さかった。しっかりと握られていたから少し暖かい。その暖かさを失おうとしている可哀想な少年は、木板さえ大きくみせる、小さな小さな個体であった。
 墨は白い毛筆に吸いとられ、「利」のあたりで掠れた。私の存在を認めないように、「山田利吉」の文字を完成させてはくれなかったのだった。
 目を伏せたまま、名残惜しくその文字を見つめて「さようなら」とつぶやく。この場に何の柵も残さないようにと、そう思えばそれで楽だった。あの出門票に名前を残す行為が、すでに私のなかに深く刻まれていても、これで終わらせてしまえばよろしい。
 「さようなら、利吉さん」彼もまた静かに言った。今日に限って私の理想像ではいてくれないのだろう。

 山田利吉は、小松田秀作のそのしなやかさに、恐らく救いを求めていたのだと思う。

 私の柵を彼は大事に抱えていた。それを見ることがとても辛い。あの木板は私を捨てても、彼はそっと私を認めていてくれるのだった。それ以上はやめておくれ。その優しさは時に、凶器になるだろう。
 だから足を踏み入れたのだが、背中の向こうでなにやら騒がしかった。別段騒々しい音を立てているというわけではないが、職業柄、些細な音が気になってしかたがないのである。
 「利吉さあん」
 理解してはいたけれど、私はつい振り向いてしまった。小松田は既に、私の知る小松田秀作の顔をして、小走りで私のもとへ寄ってきた。
 「危ないよ。」
 冷たく声を落としても、彼は笑った。珍しく転ぶことはなかった。
 「僕は」
 彼は私の両手をとって、にこりと笑った。右の脇に挟んだ木板が今にも落ちてしまいそうだったが、掠れた文字に目を逸らす。
 もう一度彼を見たときには、また、私の知らない顔をしていた。
 「小松田秀作。私は、」
 きゅっと握られた両手はかすかに汗ばんでいたが、彼の温かさを、なお、含んでいた。目を細めて彼の言葉を聴く。私の理想をすべて壊そうとする、強い意志を含んだやわらかな声。
 「忍者になります。」
 立派な、忍者に。彼は私から目を一度も逸らさずに付け加えた。やめたほうがいい。頭を冷やしなさい。と、思えばいくらでも声をかけることができただろうに、私はそうすることさえ恐ろしかったのである。
 「そうすれば、ねえ、利吉さん。」
 縋るように彼は私を見ていた。振り払えばきっと彼も私も壊れるだろう。自分のために、私はまた、卑怯に彼を傍に置いた。
 「きっと、あなたの痛みがわかるから。」
 真っ直ぐに見つめた目は、もうすでに、私を見透かすようにして、私を見てはいなかった。
 君には無理だと言ってしまえばそれで終わらせることができる。この学園の子供等だって、きっとすぐに君を追いやって成長して、そうして人形のようになってしまうだろう。私がこの道を後悔しているのかと言えば全くの嘘だ。だからこそ生き甲斐であるのに、この少年のおかげで、引き戻したくなる。
 「辛いことも、悲しいことも、泣いてしまえば終わりです。でも」
 私は今までそうやって生きてきた。父の背中を見、追いかけ、越えられないならば壊して。背負わないように、振り向かないように。いざとなれば、かつて愛した者でさえ斬る覚悟はできている。だから毎日、愛した者を過去に追いやった。過去を創造すれば今を消すことができるのだから。
 「一人ではきっと、溢れてしまうから。半分こにしましょう。悲しいことも、嬉しいことも、一緒に感じたい。」
 誰がこんなへっぽこに信頼を置くだろう。一流ならば一番に捨てる駒でしかない。それを解っても彼はきっと最期まで着いてくるだろう。実に都合の良い駒だ。
 「ねえ、僕は、あなたを救いたいのです。利吉さん。」
 愛したのは、君だよ。小松田くん。




 星は澄んで空に落ちていた。目を細めてもその形を捉えることはできないが、きっと美しい形をしているのだろう。
 結局、今夜は客間に泊めてもらうことになった。阿片は、まだ、しっかりとここにある。明朝にでも持ってゆけばまだ間に合うだろう。これで信頼がなくなって私が斬られたとしてもそれで良い。疲れたなら寝ればいい、そう言ったのは君だ。今回はすべて君に押し付けるつもりでいる。
 「夜は冷えるようになってきましたねえ」
 軋んだ床から小松田が来たことは推測できたが、私は寝転んだまま顔を上げなかった。「ああ」とそのまま夜に投げてから、息を吸って「君みたいなのはすぐに風邪を引くだろうな」と付け加えた。
 寝転んだ私のすぐ隣に、掛け布団をそっと置いて彼は、おやすみなさいと言った。口を開いて、閉じる。目を瞑り、頷いた。それを確認したのか彼は去っていく。酷く体が重いようだ。寝返りをうつと、目の前には彼の置いていった掛け布団。しっかりと干されたのだろう、懐かしい匂いと、恐らくだが、彼の匂いがする。このまま死ぬように寝てしまいたい。誰でも死ぬときは楽を好むものだ。
 「君はその心を、汚すべきではないよ」
 もう一度言ってみたが、今度は返事が返ることはなかった。彼が私のなかで一生輝いてみえるように、私の行けなかった道をきっと歩んでくれるように。その願いも、きっと叶わなくなるのだろう。それなら私は、君を忘れるだけだ。

 今日愛した君を、もう数分後には忘れて、また明日君を愛すから。

 そうしたら、笑ってくれ。いつものように阿呆面を貼り付けて。なんでもいい。「おかえりなさい」、「おつかれですね」、今だけでいい。私を救いたいのだろう、それだけで良いんだ。
 流れる星に願いを三つほど託せば叶うとは、誰が言ったものだろう。そんなかわいらしい遊戯に悔しいが参加してやろうか。
 「愛してくれ」
 なんとも陳腐で下品だとは思わないか。私はそれを一つだけ投げて、笑った。視界は次第ににじんでゆく。先ほどまであんなに綺麗に空が見えていたのに、雨でも降ったのだろうか。



初の利こま小説になります。
いつもとちがう!って秀ちゃんをかきたかったのです。
ま、まだ忍たま見始めて1週間足らずですけれどね・・・!(笑)